場所は東京工業大学。
ここは、「関東の富士見百景」に選ばれた場所。確かに、私が東京に引っ越してきた時には、ここから富士山が綺麗に見えました。
しかしながら、月日が流れ、黒く大きな壁のような物が建ち、富士山の雄大な裾野は見れなくなりました。更に月日は流れ、「関東の富士見百景」に定められた事を記す看板の前には、まるでそれを嘲笑うか如く緑のネットが貼られました。
私は大学では建築学科で学んだのですが、その際は景観や自然の尊さを説かれ、建築はそれらと共存するべきと教えられました。
そんな私からみて、最近のこの大学の行なっている事は、甚だ共感を得ることが出来ない事ばかり。
そんな事を言う権利は、私には無いかもしれませんが。
景観を無視した建物、どんどんと伐採される木々、それほど利用者が増加しているとは思えないのに、凄いペースで建てられる新しい校舎の数々。
社会人になってある程度たって、社会の良く無い面も見えちゃってるおじさんからすると、年度予算がある国立の施設で、本当に有るべきか、必要かを問わず、安直に私服を肥やす手段の一つとして数多の建築工事が発注されている様、に見えてしまいます。
確かに、ここは大学が管理する敷地内で行われている事ですが。
景観は、街の皆の財産であり、皆の情景となり、街の豊かさの一つ。
自然は、一度壊すと元の姿にはなかなか戻らない。
最近の、管理優先と思われる伐採も見てて心が痛みます。
昔はこんな感じじゃなかったのになぁ。
何か変わったのでしょうか、東京工業大学。
「地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出を約60%以上削減し、しかも棟内で消費する電力をほぼ自給自足できるエネルギーシステムをもつビルとして設計された、世界でも類をみない研究棟です。」
しかし、これを建てるために排出された二酸化炭素や、潰した自然が生み出した酸素は如何程のものだったか。そして、そもそもこの建物が、周りにまだ沢山の建物があり、且つ少子化が進むこの現状下、果たして本当に必要だったのか。
良識と良心の墓標。
これが、捻くれた私の勘違いである事を望みます。
(つづく)